『鬱の思考』今日も何もできなかった〜自己嫌悪・絶望の日々〜

2022年3月16日

鬱と戦いながら、育児を頑張れていないおじさんです。(令和4年3月時点)

最近、また落ち込み傾向です。

今日も何も出来なかった

うつの経験のある方なら、わかる感覚だと思うのですが、昨日・一昨日までできていたことが、その日の調子で何も出来なくなってしまうことがありますよね。

だいたい身体症状(猛烈なダルさ、偏頭痛など)とメンタル的な不調が合わせて押し寄せてくる日に、何も出来なくなってしまうのです。

家族からしてみれば、『今日は仕事も家事も育児もしていないで、一体何やってるんだ。全く役に立たないな。』と思われるでしょう。

そんなことは言われなくても鬱病患者は自分で一番思っていることです。むしろ仕事も家事も育児もレベルが高過ぎて、悲しいのですが鬱が酷い時には何もできなくなってしまいます。

しっかりしなきゃと心ばかりが焦ってしまうと、一層体調が悪化してしまうのも特徴でしょうか。

具体的には、『社会のために少しでも役に立ちたい』『家族のために少しでも役に立ちたい』という気持ちで焦ってしまうのが、メンタルの回復にも良くないことはわかっているのですが、そのコントロールが難しいというのが鬱の特徴でしょう。せめて、自分のことは自分でできるようになりたいです。

信頼している人・家族の支えがなければ、生きていけない

周囲の限られた信頼できる人や家族の支えがなければ、生きていけないような状態まで鬱が悪化してしまうと、仕事や家事・育児どころではありません。

申し訳なさもありますが、体がまったく動かないのです。

信頼している家族のためにできることを探していこうとすると、ネガティブ思考で悲観的に将来を捉えてしまい、『かえって変な方向に頑張ってしまう』という事態も起こりかねません。

無理し過ぎず、1日1日できることをゆったりしながら、回復を待つしかないのがツラく、周りからその様子もわからないということが、なお一層回復を難しくしているのだろうとも最近は思っています。

自分は生きていても良いのだろうか

これは究極のゼロ・ヒャク思考であることはわかっていますが、どうしてもこの考えに至りがちです。

生きているだけできっと誰かの役には立っているのだろうけれど、なかなか実感が湧きません。

そんな時、衝動的な行動に出ないように、私はただ一人で布団の上でゴロゴロして耐え忍ぶのみです。

今は比較的冷静に考えられるので、皆さんはどのようにして耐えているのか気になりますが、落ち込みが激しい時はそんな余裕も気力もなくなってしまい、周りがまったく見えなくなってしまうので、あまり意味がないですかね(苦笑)

やはり元気な頃に戻りたいという欲求を捨てきれない

どうしても捨てきれないのが、『元気な頃に戻りたい』という欲求です。

また元気な頃に戻っても同じように無理をして、同じように鬱へと落ちていくのかもしれませんが、やはり元気に仕事をしたり、遊んだりできていた頃が懐かしくもあります。

肉体的にも精神的にも体力が落ち過ぎているので、普通に生活すらできていない現状では高望みですし、人生においてもう元に戻るということはきっと無いでしょう。

それでも生きていかなければならないという現実は少々過酷でもあります。

いくら考えても疲れるばかりで、良いことはまったく思いつきません。

何とか1つでも楽しめることが見つかったりすると良いなぁと思いながら、今日も1日なんとか朝を迎えることが出来ました。今日も1日無事に生きられたことを自分で褒めてあげられるようになりたいです。

うつは怖い病気です。本当に。

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